〜将軍家献上そば〜天童織田藩将軍家献上そばの由来と再現
江戸時代に諸大名から将軍家への献上物は、年始八朔の御太刀金銀馬代(おんたちきんぎんうまだい)、端午重陽歳暮(たんごちょうようせいぼ)の御時服献上(ごじふくけんじょう)と云った定式のものの他に、時献上(ときけんじょう)と称してその時候にしたがっての献上物が定められていました。今、「大成武鑑(たいせいぶかん)」時献上の記録から蕎麦とうどん粉の献上を抜摘して見ると、通計二百六十六家の中で、九家から蕎麦を献上しています。その一つに出羽国村山郡天童在所二萬石織田兵部小輔信学の名を見ることができます。
〜将軍家献上そばの里天童〜
江戸時代末期、当時の出羽国村山郡天童在所二萬石を織田信長公の子孫で第十一代藩主織田兵部小輔信学がその領地を治めておりました。
当時、天童は「そば」の栽培が盛んであり藩主がこれを特産品として、東北・北海道地方で唯一将軍家に献上したのが「寒中挽き抜きそば」であると「大成武鑑時献上」に記されております。
このいにしえを再現すべく天童市内在住の組合一同「寒中挽き抜きそば」の名称の由来をさぐり、1月の寒中に製粉したそば粉を使用してそばを打ったものであることが判明しました。幸いにして織田信長公の御祭神が当地の「建勲神社」がその一つであり、早速、そばを奉納し報告祭を営み再現となりました。
天童織田藩献上そばの文献に基づき研究開発された天童オリジナルそばを賞味しながら、その原点と歴史を理解し、他市町村にない「将軍家献上そば発祥の地 天童」を市内外に強力にアピールして新世紀の天童市の観光誘客につなげるものです。
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